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。地方団体の課税権が、意法により与えられたものと考えるにせよ、あるいは、地方税法により与えられたものであると考えるにせよ、それが国家によって自主財源の調達手段として与えられたものであることにかわりはない。したがって、通説におけるように国家によって与えられた自主財源の調達手段という観点から地方団体の課税権を位置づける以上、その課税権は、国家の課税管轄権(これは、国家主権の居性としての本源的なものである)とは別の種類のものとならざるを得ないのではなかろうかと思われる。いずれの場合においても、国家の課税管轄権の場合におけるような(だれから与えられたものでもない)先験的な性格の課税権は、地方団体に対しては認められないということになるからである。地方団体の課税権が国家の場合と同じような先験的なものであるとすれば、それは、国家の意法以前の、(地方団体の主権者としての地方団体の住民により制定される)「地方意法」によって初めて認められる(すなわち、地方団体の「主権」から産み出される)ものであり(アメリカにおける州の課税権について考えてみよ)、地方税法や国家の意法により地方自治保障の一貫として派生的に認められる(すなわち、国家の主権から派生的に産み出される)ものではなかろう(?の考え方)。
この点、通説は?の考え方であるといえよう。しかし、この?の考え方は、実質的に?の考え方に近く解することも可能であるし、逆に、?の考え方に近く解することも可能である。そこで、以下では、?の考え方を仮に妥当なものとした上で、その具体的内容について考えてみよう。
国際法的な国家主権の概念を前提とした場合に、日本国意法は、そのような本源的な主権のような強い権限を地方団体に対して与えてはいないものと思われる(もちろん、国際法も、そのような主権を日本の地方団体に対して与えていない)。日本の地方団体は、少なくとも意法の明文上は、ドイツのラントやアメリカの州ほどに独立した存在ではない。このことは、たとえば、日本国憲法に、国と地方団体との間の具体的な権限配分に関する規定がないこと、日本の地方団体名は、ドイツのラントのように憲法上具体的に列挙されてはいない点、憲法の保障する地方自治が独立の司法権を欠くが故に不完全であるという点、および、地方議会の立法権もきわめて不十分であるという点等に明確にあらわれていると考えられる。したがって、仮に?の考え方を採用し、憲法により地方団体に対して、国家主権と(同様ではないにせよ)類似の(国家主権から派生する)権限が与えられており、その結果として、(国家の課税管轄権から派生する)課税管轄権的権利が与えられていると考えるにせよ、それは、地方団体の課税権の法的根拠・性格付けに関する限りのことであり、地方団体の課税権の強さは、国家の課税権と比較してきわめて不十分なものとならざるをえないであろう。
すなわち、地方団体の課税権は、その法的性格において、国家の課税管轄権から派生する第二次的なものである(これに対して、国家の課税管轄権は、「国際法的な何らかの国家の上位団体の課税管轄権」〔このようなものがそもそも存在するかさえ疑問である〕から派生するものではなく、本源的なものである)のみならず、その効力においても、国家の課税権と比較して制限されたものと考えざるをえない。もっとも、憲法が地方団体に対して課税権を与えている以上、地方団体の課税権は意法上は保障されているのであり、法律でこれを奪うことができないことはいうまでもない。
以上のように考えた場合に、問題となるのは、地方税法の存在である。地方税法は、明らかに、憲法が与えた地方団体の課税権の間の衝突を(法律で)調整しているからである。憲法上保障された地方団体の課税権を法律で調整(=制限)してしまってはたしてよいのであろうか。この点については、論者の立場により様々な考え方が可能であろう。しかし、ここでは、この点に関する様々な考え方を繰り返すことはせず、ただ、上の?の考え方に立った場合であっても、以下に述べるように、一応、地方税法の存在を正当化しうるという点を指摘するにとどめておく(なお、上の?の考え方に立った場合に、地方税法による課税権の調整を正当化しうるのは当然であろう)。

 

 

 

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